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本日公開 ニンジャ・アサシン

今日は、東京も雨ですかー????

「ニンジャ・アサシン」公開日です。
ninja jp

新宿ミラノ1に変更です。




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私のつぶやきを追記。

ここにこんな記事がある http://pia-eigaseikatsu.jp/topics/2703

記事を書いてくださったのは、ぴあEXでRainの記事を書いてくださった相田さん。

韓国の人気歌手・俳優のRAIN(ピ)が主演を務めたアクションムービー。伝説の暗殺集団に育て上げられた雷蔵は、親友を殺されたことから組織への復讐を誓う。

ずばり、B級活劇である。そもそも、忍者を現代の密殺集団と位置づけ、人間兇器を捏造する一族であると規定する理念を、デフォルメとケレンとスピードに満ちた筆致で顕在化する企てである本作。それを特定のジャンルの中でいかなる機能を果たしているか……と検証しても意味はない。第一、面白くない。

優れたB級活劇には、ある種のすがすがしさが備わっているものだが、『ニンジャ・アサシン』のすがすがしさは、ときに崇高な何かに接近する。ありえない設定が、逆説的に、ある種の品格を際立たせるのだ。では、それは、いったい何か。

RAIN(ピ)の存在である。音楽活動に重きを置いているため、韓流スターの中ではやや異端の存在ながら、良心的な映画ファンなら、パク・チャヌクの『サイボーグでも大丈夫』の彼、と言えばピンとくるかもしれない。

役者にとってオーラ以上に重要なのはセンスである。とりわけ、ドラマ・シークエンスが鬼のように少ないアクション映画においては、そのセンスのあるなしが一目瞭然だ。

たとえば、こんな場面がある。はりつけになっている青年がいる。彼に黒人女性が近づき、ふたりはふたりだけの会話を交わすのだが、ここで青年は「大丈夫。俺が守ってやるから」的なことを、言葉ではなく身体から発する空気によって、相手に伝える。彼自身、身動きのとれない状態であるにも関わらず、そうしたメッセージを送り届けてしまうのだ。この奇妙な、しかしはっきりとした安心感が、映画に説得力をもたらしている。

演技を、感情をこめて台詞を言うことだと誤解しているひとは多い。しかし、そうしたことは構成要素のひとつにすぎず、本質ではない。芝居とは、ある状況を成立させることに他ならない。それがどんなに信じられないシチュエーションであったとしても、そこに出現させてしまうこと。俳優がすべきことは、極論すれば、それだけなのである。

RAIN(ピ)が、いかなる表現によって、この潔いB級映画を成立させているか。凄まじいアクションの数々(剣劇とカーチェイスの合体など)だけに目を奪われるのではなく、彼の演技センスの繊細な発露にどうか瞳をこらしてほしい。


なんども考えたの。
きっとB級映画ってブロックバスターと対極のところにある趣味嗜好の世界なんだよ。
うちの夫はB級映画好きで、ほんっとにくだらない映画をぽけーーーーと見るのが好きな人なので
そういう映画の存在価値はわかっていたつもり。
失敗作だから、一生懸命作ったけど売れなかったから、B級映画と呼ばれるんじゃないんだということを認識して
この記事を読んでほしいな。

きっとこのニンジャアサシンは初めからその意志をもって作られたんだと思う。
韓国のニュースをメインの情報を仕入れてる私たちは、
うっかりRainの映画は正統派アクション映画だと信じてしまっていたんじゃないかと。
少なくとも日本にはB級映画を楽しんじゃおうぜっていう文化(マイノリティですけど)があります。
どうしてそういうアピールをしないんだろうなー。ワーナーさん。

あああ、はやくみたいぞーーーーー。
ninja assassin | 【2010-03-06(Sat) 11:28:10】 | Trackback(-) | Comments:(0) | [編集]
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